お疲れ様です。毎日22時過ぎに帰宅の日々を過ごしております。週末お休みをいただく予定でありましたが、やんわりと断られ仕事になりました。
( ゚д゚)ポカーン
脂肪肝とラーメンと
先日の胃カメラ検査で脂肪肝と診断されて少しショックを受け、糖分を控えウォーキングをしてたら体調はすこぶる快調。
せっかく良い感じの体調なのに、こんな夜中にラーメンを食べるわけにはいかないのですが、さすがに長時間労働につき空腹感は我慢できず…。
深夜にラーメンを食べる
現在はわたくし、とある金融機関に勤務しておりますが
定期的な監査、というものがやってくる理由で遅くまで残業しております。こういった監査は一般的な金融機関なら当然あるもの。それに備えて帰りたくても帰れない…書類の山を片っ端から再確認する、時間がいくらあっても足りない…。絶望感…。この状況こそ私がSE(システムエンジニア)のときに毎日味わっていたあの感覚。あぁ懐かしい…(;゚д゚)ゴクリ…
初めての会社はいわゆるブラック大企業
私が就職したのが2001年、ITバブルまっただ中で、職種としてSEは人気でしたので専門性は持ち合わせていないにも関わらずいわゆるメーカー系SEとして採用、2ヶ月の適当なw研修を経て現場に配属、OJTしながら現場で叩き上げられるというスタートでした。何故SEになったのか。実を言うとSEではなくて、カスタマーエンジニア(CE)になりたかっただが、1社目に内定もらえず仕方なく同じグループ会社のSEとなっただけ、というお粗末な結果なのです。CEとは、ソフトウェアよりハードウェアをメインに扱う仕事です。機械イジリは嫌いじゃなかったんですよね。
当時私の業務は、中小企業の製造業向け生産管理システムの導入支援。自社で開発したWindowsのクライアントサーバー型アプリケーションをカスタマイズして導入するもの。WindowsサーバーにVisual Basicで開発したアプリをOracleデータベースで動かします。
そんなこんなでSEになったわけですが、今ではおそらく残業も事前申請制で厳しく管理されてると思いますが、当時は何でもアリの時代。三六協定なんてのもどこ吹く風、仕事が終わらないのに帰れるわけねーだろ的な空気がプンプンしてました。上司や先輩が帰らない、つまり下々の者は帰れない。なので精神的にやられてしまい、うつ病続出www。会社に来なくなる先輩後輩は年に数名必ずいるわけです。そうでもしないと会社を合法的に休めないから。今考えると相当恐ろしい世界。もちろん今でも存在している会社ですが。
どのくらいキツかったかというと、私の経験で月の残業時間が200時間超。
平日は18:00から23:30くらいまで残業します。これで5.5×20日で110時間、これに土日出勤で12時間を8回すると96時間で、合わせて200時間超えるわけ。もうわけわかりません。会社に寝泊まりしたりして、口内炎が左右合わせて4つできました。家には風呂に入って寝て着替えるだけの生活。電車で寝過ごして終点まで到着しちゃったりね。
SEってのは納期絶対厳守な生き物でして、気合いと根性、意地を張ってなんとか自分のタスクを納期までに間に合わせます。やっぱり間に合いませんでした〜テヘペロ、なんてことは絶対に許されない。納期間近にはプログラミングしてテストしてをひたすら繰り返すわけです。時間もお金かけられない状況で、なんとか少人数でプロジェクトをまとめるわけで、それはそれは過酷になります。規模が大きければ、まだ各自の進捗管理がしっかりされるでしょうけど、私が所属していた部署は、中小企業の基幹システム担当。プロパーと言われる自社要員ひとりに協力会社数名でプロジェクトを回します。つまりはほとんど一人でなんでもやらなきゃならない。
今で言えば完全にブラック企業です。月の残業は平均して80時間くらい。とはいえ、全額残業代が出てましたのでそれは唯一の救い。よく言われてたことは、自分の命を削ってお金に換えてるようなもんだと。使う時間すらないので、勝手に貯まっていきました。(それがきっかけで結果として転職した金融業に興味が湧いたのは事実です。)
そんな毎日ですから、夜遅くにご飯を食べるわけで、良くラーメン食べたり22時から飲みに行く。深夜のラーメンはその当時を思い出します。
こんな夜遅くに食べるのでカラダに良いわけがない。どんどん太り健康診断で要精密検査となる。強いストレス環境と劣悪な食生活、人間らしく生きるなんて、考えたこともなく目の前の自分のミッションをただひたすらに片付けていく…。
(((( ;゚д゚))))アワワワワ
こんな状況が数ヶ月続いたりして、身も心もボロボロになるわけだが、忙しさもサイクルがあるのでヒマな時はヒマで、定時で帰れたりする。しかしここであまりヒマな姿を上司に見せると、地獄の炎上プロジェクト(トラブルプロジェクトのことで基本的には帰れない系の近寄っちゃいけないやつね)に突然投下されたりするので見せ方も大事なんです。俺は忙しいんだ!とね。
すべてのSEがこうじゃないけど
過酷な過去を少し振り返りましたが、すべてのSEがこうではなく、うまくやる人はこうなる前に対策を打っていきます。顧客との責任の所在をハッキリさせて、すべての作業を自分が請け負わない。追加の作業には必ずお金が発生することを顧客と交渉していかなければならない。炎上するプロジェクトはどこかお人好しな人がいるもんだ。
結局、約6年で転職してしまったわけだが、SEが嫌で辞めたわけでもなく、たまたま流れ?でそうなりました。この6年のSE生活はその後の人生にどれだけ役に立ったかわからないくらい有意義であったのですよ。テキストエディタやExcelの使い方はもちろん、システマティックなモノの考え方など。またSEをやるかと言われれば、それも良いかもしれないと答えると思う。
人形町の由丸
深夜のラーメンを食べながらそんなことを思い出しました。人生にはいろんな選択肢があるけど、今の自分があるのはSE人生があったからこそなわけで感謝しております。ところで人形町の由丸は、クセのない博多ラーメンであるが、替え玉をして紅生姜を乗せゴマを入れることで味を変化させていく。良いところと変えていくところを併せ持って、皆に長い期間愛されている。人生もこうでありたい。とうまくまとめてみました。